僕は長年広告写真に携わってきましたが、ある月刊誌で風景写真家と紹介されました。そう言われるのであれば「本気で風景写真家として意識をしてみるか」という気になってきました。

僕は自然の中に立つと自分の小ささを感じ、出会いの中で、自然が先生のようにいろいろな事を教えてくれることに気づかされました。
早春の山の新緑の美しさに見とれ、気が付いたら涙を流し、心で感動している自分がいました。5月に行ったカリフォルニアのヨセミテ公園。満月の夜に撮影した、滝に映し出された月の光で見えた虹に、体の中から感動し、嬉しさのあまりその場で踊り狂っている自分がいました。
東北で11月の雨上がりに早朝に出会えた湖。静寂な時間の中で、音もなく香りもなく、優しい空気が軽く感じられ、気がついたら両手を広げ静かに目を閉じていました。今までにない安心感のある至福を感じ、いつまでも浸っていたい心地よさに、感動を越えた何かを、五感を通して感じ取っていました。我に返り慌ててシャッターを切りました。この時に大自然の華夏で瞑想ができることに気づきました。

書店へふらっと立ち寄った時に空海の本を手に取りました。空海が遣唐使として唐に渡り、密教で学んだ曼荼羅を、自分の言葉だけでは伝えきれないことから、形にしてわかりやすく伝えようと、京都・東寺の講堂に21体の仏像で立体曼荼羅を作らせたことは知られています。その本で、「曼荼羅とは瞑想するための舞台装置である」と知りました。僕には仏像だけで描かれた曼荼羅だと瞑想には難しさを感じます。でも、自然の風景の中でならやさしいと考え、自分の出会えた素晴らしい風景を元にして、瞑想ができる舞台装置を作ろうと、この『風景曼荼羅』の創作を始めました。

見ていただいた方に何かを感じていただければ幸いです。
ありがとうございます。

小川勝久